闇の胎動




 アナキムは玉座に深く腰を下ろしたまま、激しく苛立っていた。このところ、反乱軍の活動が活発になってきている。一時は鎮圧の方向に傾いていたのだが、それも一時的なものにすぎなかった。それというのも、自分の姉であるアンフィニアが、頻繁に表舞台に顔を出すようになったからだ。王家の血筋であるアンフィニアが反乱軍に加わっていると再認識しただけで、雑兵の集まりでしかなかった反乱分子どもの士気が急激に高まってしまった。若くして皇帝となった自分に見切りを付け、早い段階で帝国を去っていった幕僚や官僚の何名かが、反乱軍に加わったとの情報もある。世論も表向きはアンフィニアたちを反乱分子と報じているが、腹の内は分かったものではない。得てして世俗は、悲劇の姫君に同情的だ。やもすると、皇帝であるはずの自分たち一派の方が反乱分子にされてしまいかねない。王子一派がクーデターを起こし父皇帝を暗殺、姉王女を王宮から追放したと、一部では囁かれているほどだ。アナキムにとって、好ましくない状況になりつつあった。だから苛立っているのである。
「陛下、落ち着きなさいませ」
 アナキムの苛立ちが分かったのだろう、エンリルが軽く窘(たしな)めてきた。その落ち着き払っているエンリルの態度が、逆にアナキムの神経を逆撫でする。
「軍の動き、甘くはないか?」
 苛立ちを抑えきれないアナキムは、引きつらせた表情を序列定位置で姿勢を正しているエンリルに向けた。
「甘いとは?」
 エンリルは右の眉毛をピクリとさせた。
「姉上をいつまであのままにしておくつもりだ? 好きにさせておけばいいとネルガルは言うが、このままではわたしの方が悪者だ。国民たちの噂話が、わたしの耳に届かないと思っているのか?」
 アナキムの言葉を受けると、エンリルはジロリと対面の位置にいるネルガルを見た。ネルガルはフンと鼻を鳴らす。
「サリエス……いや、エミスが陛下のお耳に入れたのですな? それともニムローデですかな?」
 あの娘どもはおしゃべりでいかん。ネルガルはそう付け加えた。つまりは、その情報を肯定したわけだ。アナキムは口を真一文字に結んだまま、ネルガルを睨むように見た。視線を受けたネルガルは、意外にも薄い笑いを浮かべる。
「民草どもは話題に餓えております。好きなように言わせておけば良いのです。折を見て、姫様だけ反乱分子どもから我らが保護すれば良いだけのこと。さすれば、話は如何様にも細工できましょう」
 策略家らしいネルガルの言葉だった。
「『保護』か……。ものは言い様だな」
「左様」
 エンリルの皮肉った笑いにも動じず、ネルガルは重々しく肯いた。
「そうか。それもそうだな」
 アナキムは納得したようだったが、エンリルはネルガルの言葉に不快感を感じていた。いや、疑惑と言った方が正しいか。ネルガルはそのエンリルの疑念に気付かないのか、それとも気付かないフリをしているのか、努めて淡々とした口調で話を続けている。
「陛下の象徴ともなるべく、“マルギッダ”も間もなく完成致します。陛下の御力を示せば、反乱分子も大人しくなりましょう。さすれば、程なく世論も同じ。なに、騒がしいのは一時のことです。雑音に耳を傾けてはなりません」
「“力”で反乱を抑える……か。成る程、ネルガル殿らしい」
「棘を感じる言葉ですな、エンリル殿」
 涼しい顔を通してきたネルガルだったが、今度は一変し、挑戦的な態度でエンリルと相対した。
「貴殿こそ、気にしすぎではないかな?」
 この場面では、エンリルの方が冷静だった。やや興奮気味のネルガルを、言葉だけで軽くあしらった。
 ネルガルの隣でふたりのやり取りを見ていたエレキシュガルが、弾けるような笑い声を発した。
「今のは、あなたの負けですわ」
「むぅ?」
 小馬鹿にするような視線を向けられたので、さしものネルガルもムッとしている。今度は、エレキシュガルがその視線を受け流す。
「お客人が来られたようですわよ」
 これ幸いとばかりに、エレキシュガルは謁見の間の重厚な扉に顔を向けた。ふて腐れたように鼻を鳴らし、ネルガルも顔を扉に向けた。既にエンリルも向き直っている。アナキムは玉座に座したまま、正面に顔を据えていた。
 重厚な音と共に扉が開き、まず始めにエンリル配下の親衛隊のひとりが謁見の間に足を踏み入れる。
「お客様をご案内して参りました」
 姿勢を正し、腹の底から声を出すようにしてそう報告する。実直そうな若者だ。
「ご苦労だった。下がって良い」
 アナキムが肯くのを確認してから、エンリルは親衛隊の若者に向かって言葉を投げた。若者は敬礼をしてから踵を返し、謁見の間から出て行く。入れ違いに、ふたりの女性がしずしずと入室してきた。
「よくぞお出でくださった」
 アナキムは言った。すると僅かに先んじて歩みを勧めていた女性の方が、顔を上げて「おや?」と言う表情を見せた。その場で足を止める。付き従っている侍女らしき女性も、それに合わせて立ち止まった。
「恐れながら申し上げる。我らは皇帝陛下にお目通りを願ったはずだが? そこにおわすのは御子様にお見受けいたす。陛下は我らにはお会いにならぬと言うことか?」
 明らかに不快感を示している。しかし、アナキムは毅然としていた。
「余が皇帝である」
「アヌ・アラル・ネフレイム様はご病気より、先頃崩御あそばされた。現在はアヌ・アナキム・ネフレイム様が我が国の皇帝陛下である」
 エンリルは威厳を正しアナキムの言葉を補足した。
「そうであったか。お悔やみ申し上げる」
 女性は慇懃に腰を折る。
「お心、感謝する」
 アナキムは礼を述べると、女性は顔を上げた。
「ご無礼をお詫びいたします。我が名はメディア。この者は、従者のパデュリーで御座います。皇帝陛下」
「うむ。その場では遠い。もう少し、近くへ参られよ」
 メディアたちは謁見の間に入室してすぐに立ち止まったので、玉座からはまだ距離があった。少しばかり声を大きくしなければ、お互いに聞き取れない距離だ。
「もうひとり連れてきた者がおります。その者もこの場に招いてもよろしいでしょうか?」
「構わんが?」
 何故共に入室して来なかったのだ、と言うように、アナキムは訝しそうな視線をメディアに向ける。それは、エンリル、ネルガル、そしてエレキュガルも同じ考えだった。
「陛下の許可を戴いた」
 パデュリーが振り返り、半開きの状態だった扉の向こう側に声を投じるようにした。僅かに間があって、漆黒のドレスに身を包まれた女性が謁見の間に足を踏み入れた。その瞬間に、空気が凍り付いたような錯覚に包まれた。
 エレキシュガルは怪訝そうな視線を向け、エンリルとネルガルは揃って顔色を変えた。アナキムはおぞましいものでも見るかのように、眉根を寄せた。
 まるで、「闇」そのものを纏っているかのような女性だった。その堂々とした歩み方は、他の者を圧倒するような威厳があった。どういった経緯でメディアと行動を共にしているのか今の段階では不明だが、明らかにメディアより格上だと感じた。
「この者を黄泉の国より召還していたがために、こちらへの到着が遅れました」
 メディアは、どうだとばかりに自慢げな表情を作った。「闇」を纏った女性はメディアを通り過ぎたところで歩みを止めた。黄金の瞳を輝かせて、アナキムを真っ直ぐに見る。全てのものを見下すようなその輝きに、アナキムは背筋が凍る思いがした。
「お初にお目に掛かる。追放されし惑星国家の若き王よ。わらわは闇の女王ネヘレニアである」

「あの者は危険だ!」
 重い沈黙を破り、エンリルは吐き捨てるように言った。
 会見が終了し、エンリル、ネルガル、エレキシュガルは小会議室へと移動していた。この後、メディアたちとの会食が予定されている。だが、三人ともとてもそんな気分にはなれなかった。何故なら、三人ともネヘレニアがどういった素性の持ち主か知っているからだ。
「ネヘレニア……。闇の魔女」
 エレキシュガルは、未だに青ざめた顔をしている。
「あのような者が来るとは……。誤算ですよ?」
 責めるような目を、エレキシュガルはネルガルに向けた。メディアたちを受け入れることを提案したのは、他でもないネルガルなのだ。
「何を怯える必要がある」
 ネルガルは平静を装ってはいたが、その言葉は強がりにしか聞こえない。ネルガルは尚も言葉を続ける。
「いいではないか、コマとして使える。きゃつらの狙いはあくまでもセレニティ。せいぜい励んでもらおうではないか。きゃつらを上手く使えば、こちらの戦力を裂かずにすむ」
「それはそうですが……」
「貴殿はどうじゃ?」
 ネルガルは、エンリルに水を向けた。腕を組んだ状態で考え事に耽っていたエンリルは、その思考を中止してネルガルに顔を見る。
「コマとして使うという貴殿の意見には賛同できる。あの者たちには早々に地球にお帰り願おう。どこまで信用できるやつらか分からぬ故、妙な気を起こされる前にニビルを立ち去ってもらいたい」
「うむ。セレニティを亡き者に……とほざいているが、きゃつらも所詮はシルバー・ミレニアムの連中。ニビルの敵であることには相違ない。今回は、貴殿の意見に従おう」
 ネルガルがいつになく素直なのは、その平然とした態度が虚勢であることの何よりの証に思えた。内心は、やはりネヘレニアの存在を驚異に感じているのだ。たったひとりでクイーン・セレニティに抗(あらが)ってみせた暗黒の魔女の名を知らぬ者は、シルバー・ミレニアム内外に知れ渡っている。
「ですが、貴方……」
 エレキシュガルは思慮深げに眉間に皺を刻む。
「ネヘレニアがセレニティを討ってしまうと、我らの計画に狂いが生じます」
「案ずるな。ネヘレニアはセレニティを倒せぬよ。私怨だけで動いている者は、自滅の道を辿る」
「アテにはしていないと?」
「アテにはしておる。セレニティ本人を倒せずとも、取り巻きの何人かは葬ってくれよう。羽虫も一匹ならそう煩わしくはないが、群れていると不快なもの。数を減らしてくれるのもよし、全体を弱らせてくれるものよし。あの魔女には、それくらいの力はあろう」
「よく分かりました」
 エレキシュガルは肯いたが、言葉ほど納得はしていないようだった。ネルガルはそんなエレキシュガルから、エンリルに顔を向けた。彼の視線を感じたからだ。ネルガルが顔を向けてきたので、エンリルは口を開く。
「メディアの序列の要求は如何する?」
 エンリルの腹は決まっている風だったが、独断で決めることは出来ない。だから、形式上意見を求めたという感じだった。
「早急に評議会で採決せねばならんな」
 ネルガルもエンリルと同じだった。結果は分かっているが、評議会を通さねばメディアが納得しないのは明白だ。もっとも、その結果を素直に受け入れるとは思えないが。
「わたくしは反対しますよ。袂を分かっているとはいえ、メディアはシルバー・ミレニアム王室親衛隊の一員だった女。そんな者を序列に加えるなど言語道断です。しかも、序列上位を要求するなぞ、生意気にも程があります」
「テレサの席が空いていることを知っておりましたな。誰に聞いたものやら……」
「ネズミを飼っていると?」
 エレキシュガルはその言葉を口にしたエンリルに、訝しそうな目を向けた。
「内通者がいても不思議はなかろう」
「確かに」
「ネズミか……」
 ネルガルが唸るように言った。
「ネズミは増える」
「分かった。探り出し、早々に始末をさせよう。シンにやらせる。異存はないな?」
 エンリルはふたりを見た。
「お好きに」
「任せる」
 エレキシュガルもネルガルも、異存はないようだった。

「あの者たちの動揺ぶりは滑稽でしたね」
 会見のペースを終始自分たちが握ることが出来たので、パデュリーは上機嫌だった。
 会食までの間、彼女たちには貴賓室が与えられていた。ご用の際はお申し付けくださいと、メイドがひとりドアの横に待機していたが、特に必要ないと言って立ち退いてもらった。メイドの姿はしているが、メイドでない可能性はある。メディアは自分たちが招かれざる客であることを充分に認識していた。
「わらわが恐ろしいか?」
 大きな窓から望めるニビルの美しい景色をぼんやりと見詰めていたネヘレニアが、その姿勢を崩さずに尋ねた。
「でしょうね。良くも悪くもあなたの名前は有名ですからね」
 あなたの場合は悪名だけですがと注釈を入れて、メディアは答えた。ネヘレニアの背中が、笑ったように僅かに揺れた。
「お前たちは、何故そんなにも平然としていられる? わらわは、お前たちに恩義など感じてはおらぬ。お前たちも元々はクイーン・セレニティの親衛隊の一員。わらわを封印した憎き相手であることは相違ない。今この場で裏切るかも知れぬのだぞ?」
 背を向けたまま、ネヘレニアは妖艶な口調で語った。メディアはニコリと笑う。
「使えるうちは、あなたはわたしたちを生かしておくでしょ?」
「面白いやつよ」
 ネヘレニアは今度こそ、確かな笑いを発した。
「……して、いつまでこんな茶番を続ける?」
 振り返ったネヘレニアの表情からは、既に笑いが消えていた。そもそもニビルの皇帝に謁見すること自体、ネヘレニアは反対だったのだ。それを説き伏せて、メディアはネヘレニアをニビルまで同行させて来たのだ。
「この星に長居をする気はないわ。彼らも、早く我らに立ち去ってもらいたいでしょうしね。それにこの星は空気が濃すぎて溺れそうだわ。わたしには合わない」
「それでは、わらわからの質問の答えになってはおらぬ」
 ネヘレニアは不機嫌そうに目を細めた。
「退屈だったら、会食の時に一暴れなさる?」
 メディアは真っ直ぐにネヘレニアの金色の瞳を見た。たっぷりと五秒間、ふたりは視線を外さずに無言の会話を続けた。やがて、諦めたようにネヘレニアが視線を外した。
「分かったよ、メディア。しばらくは大人しく、そなたの持ち駒として振る舞っていよう。だが、わらわは気が短い。分かっておろうな?」
「もちろん、充分すぎるほどに」
 メディアは薄く笑った。

 惑星ニビル。
 半径は約九千六百キロメートルで、地球の約.5倍の大きさの惑星である。自転周期は24.10時間、地軸の傾きは23.5度。大気の主成分は酸素と窒素、酸素の濃度が地球の2倍である他は、水蒸気や二酸化炭素等の成分が含まれているのは地球と変わらない。約三万六千年という、地球と比べると気の遠くなるほどの長さの公転周期を除けば、地球とほぼ同じ条件の惑星と言える。
 惑星ニビルは海の面積が狭い。大小併せて八つの大陸の隙間を埋めるように、塩分が含まれた水に覆われた、地球で言うところの「海」が存在する。起伏の激しい海底は深い海溝が多く、地球では大陸棚と呼ばれているなだらかな斜面は極端に少ない。だから、海と呼ばれる部分が全大陸面積の十分の一に満たなくとも、水そのものの量は決して少ないというわけではない。
 海が狭い反面、淡水の池や湖の類は非常に多い。ニビル最大の湖ミルクーツクは、五百五十万平方キロメートルを誇り、ニビル最大の島であるヴィンツを上回る大きさだった。
 また、大陸の随所に見受けられる巨大な樹海の数々は、この星が決して水が不足している星ではないことを物語っていた。地球よりも豊富な酸素を取り込み成長した木々に覆われた大地は、深緑の絨毯を敷き詰めたようにも見える。地球を青い星と呼ぶならば、さしずめニビルは緑の星と言えよう。
 八つの大陸の随所に、「生命の大樹」と呼ばれている巨木がある。数億年と言われている樹齢の老木で、最大のもので幹の直径が五千メートル、最小のものでも二千メートルに達する。背はあまり高くなく、横に長く枝を張り出しているのが特徴だった。ある学者が、ニビルの大地はこの巨樹によって支えられているという説を唱えたが、具体的な根拠に乏しいその説はあまりに荒唐無稽で、妄想でしかないと一笑に付された。
 ニビルには人工の太陽がある。八つある衛星のうち、ニビル本星からもっとも離れている第八衛星・アプスを改造し、疑似太陽として機能させ、軌道をコントロールすることによって一日という単位を作り出している。そうしなければならない理由は、ニビルと太陽までの距離にある。
 ニビルは三万六千年という途方もない年月を掛けて太陽を一周する。その軌道は細長い超楕円形。太陽から遠く離れてしまえば、その恩恵を受けることは出来ない。大地は凍てつき、生命の活動が妨げられてしまう。ニビルで生命が活動できるのも、この疑似太陽とそしてその太陽によって光合成をし、大量の酸素を作り出してくれる樹海のお陰でもあった。シルバー・ミレニアムの超科学の力がなければ、生命が生存できる惑星ではないのである。

 八つの大陸のひとつ、北極に近いスフグリム大陸の北端。一年中溶けることのない雪に覆われた山脈に守られるようにして、レジスタンスたちの本拠地がある。谷底を改造して平地にし、そこに幾つかの施設を建設。強固な巨大ドームで全体を覆うことにより、そのドームに雪を降り積もらせたその場所は、一見しただけでは小山のようにしか見えない。溶けることのない雪が、彼らを帝国から守ってくれるという仕組みだ。
「お帰りなさいませ」
 ドーム内に入るために設けられたゲートの前で停車した車両に向かって、全身白い防寒具で覆われたレジスタンスのメンバーが、深々と頭を下げた。
「ご苦労様」
 運転席側の窓が開けられ、助手席側に座していたアンフィニアが労いの言葉を掛けた。運転席に腰を下ろしているのはエンキだ。エンキはレジスタンスに向かって、軽く肯いてみせた。
「長旅、お疲れ様でした。それと、作戦の成功、おめでとうございます」
 真っ白な息に包まれたその言葉が、アンフィニアの心にズシリとのし掛かる。確かに、シャトルを打ち上げるという作戦そのものは成功した。しかし、その代償はあまりにも大きかった。
「ええ……」
 決して満足の出来る結果ではなかったにせよ、それを口に出すことは憚(はばか)られた。良くも悪くも、彼女はそういう立場の人物なのだ。メンバーに不安を与えるような言葉を吐くわけにはいかない立場にいるのである。
「引き続き警備を頼む。残りの者たちも、順を追って戻ってくるだろう」
 アンフィニアの心中を慮って、エンキは早々にこの場を後にすることにした。
 作戦に参加し、生き残ったレジスタンスたちは個々に分散し、数日掛けて陸路で本拠地に戻ってくる。車両を使えるのは、アンフィニアのような一部の重要人物だけだ。残りの者は殆どが徒歩である。人里から離れたこの豪雪地帯で、多くの車両が行き交っていてはそれだけで目立ってしまう。それでは、わざわざこの土地に本拠地を構えた意味がなくなってしまう。
「作戦の度にそれでは、これから身が持ちませんぞ」
 窓を閉じ、アクセルを踏み込みながらエンキは言った。
「分かっています……」
 帝国との戦いが激化すれば、もっともっと多くの人命が失われることになる。分かっていたし、覚悟をしているつもりだ。しかし、それで本当にいいのだろうかという疑問も常に付きまとう。
「姫様はしばらくここで養生なさいませ。アナキム殿が建設させているという新しい居城の視察は、私ひとりで行って参ります」
「大丈夫、わたしも行くわ。アナキムがやっていることをこの目で見る必要があるもの」
 気丈に振る舞って、アンフィニアは答えた。アナキムが新たに建設しているという居城の情報は、レジスタンスにも入ってきていた。詳細はベールに包まれているが、仲間が掴んできた情報によると、かなり巨大な建造物であるらしい。単なる居城に留まらない代物だと言う話だ。
「首都バド・ティビラの郊外にある巨大湖ララクにわざわざ建造しているという話。確かに、湖の上ならば外敵の侵入も制限されるでしょう。それにしても……」
 ゲートを抜けドームの内部に入ったので、エンキは一端言葉を切った。そこにも警備の為のレジスタンスがいるからだ。
 ドーム内部はコートを着ていなくても寒くないほどの気温に保たれている。言葉を交わしたレジスタンスの青年も、動きやすい服装をしていた。
「それにしても、この時期に建設するというのは解せませんな」
 一端停車していた車を滑るようにスタートさせ、同時にエンキは先程の続きを口にした。
「あたしたちの動きに呼応しているかのよう……」
 アンフィニアはポツリとそれに応じる。アナキムの新たなる居城の噂が囁かれ始めたのは、自分のレジスタンスでの活動が目立ってからだ。
「我々に対する当て付けでしょう。ネルガルが考えそうなことです」
 意外とサバサバとした口調でエンキは答えると、車を停車させた。目的地に到着したのだ。作戦本部が設置されている建物だ。二階建ての箱形の建物だった。本部は二階部分にある。一階は通信室や情報収集のための部屋が設けられている。ドーム内にはこの他、医療棟や宿泊棟、ちょっとした娯楽施設等がある。作戦本部は、ドームのほぼ中央に位置していた。
「ご無事でなによりです」
 出迎えたのはレジスタンスの主要メンバーで、アンフィニアの父である前皇帝の忠臣でもあったダレイオスだ。鼻の下に見事な髭を蓄えている。
「お帰りなさいませ、姫様」
 ダレイオスはアンフィニアに顔を向けると、厳つい顔を緩めて笑顔を作った。
「ただいま。ダレイオス」
 自然とアンフィニアの表情も穏やかになる。ダレイオスの笑顔は、いつもアンフィニアの心に安らぎを与えてくれる。
「ヘクトルは順調のようです」
 助手席側のドアを開け、アンフィニアをエスコートしながらダレイオスは言った。
「何事か懸念でも?」
 そのダレイオスの物言いの裏に何事かが隠されていると察知したエンキが、眉間に皺を寄ながら車から降りた。アンフィニアも不安そうにダレイオスの顔を見上げる。
「二階でご説明いたします」
 ダレイオスはふたりを建物の中へと促した。

 作戦本部―――とは言っても、それ程大規模なものではない。会議室と言えど例外ではなく、五人ずつ向かい合って付くことが出来る長方形の机がある他は、入口から入って左側の壁にスクリーンが設置されている程度の質素な会議室だった。窓はなく、天井の発光パネルから淡い光が降り注いでいる。
 アンフィニアたちが会議室に入ると、彼女たちの帰りを待ち侘びていたという風に、スクリーン側に腰を据えていた神経質そうな細面の男が顔を上げた。レジスタンスの参謀的な役割を担っているシャルキンだ。民間の出で、アンフィニアたちが参加する以前からレジスタンスを率いていた最古参のメンバーのひとりである。
「何か由々しき事態でも?」
 視線を交わすなり、挨拶もそこそこにアンフィニアは問うた。
「ギルガメシュとの連絡が途絶えました」
「それは!?」
 その言葉には、アンフィニアばかりでなくエンキも驚愕した。ヘクトルはギルガメシュがバベルの塔から誘導することで地球に侵入することになっている。そのギルガメシュと連絡が取れないと言うことは、ヘクトルは地球を目の前にして「遭難」してしまうことになる。
「バベルの塔が堕ちたようです……」
 重苦しいものを吐き出すように、シャルキンは言った。アンフィニアもエンキも、会議室の入口に立ち竦んだまま、動くことが出来ない。ダレイオスがアンフィニアだけを優しく誘導し、取り敢えず席に着かせた。エンキは着席を遠慮した。
「我々が地球に使者を送ることなぞ、帝国は端からお見通しだったと言うことです」
「そう言うことになるな」
 エンキは顎を引いた。アンフィニアが疑問の目を向けてきたので、
「連中の対応が早すぎるからです」
 エンキは素早く答える。
「我々が地球のプリンセス・セレニティを頼ることは、ネルガルなら容易く予想するでしょう。ですが、我々が動きを見せる前にバベルの塔を墜としてしまっては、我々は警戒して使者を送らない。だから、敢えて使者を送った直後にバベルの塔を攻略したのです。その方が我々が受けるダメージが高い」
「帝国は、バベルの塔攻略の準備をしていたと言うこと?」
「間違いないでしょう」
「ヘクトル……」
 アンフィニアは両手で顔を覆ってしまった。地球の座標は分かっているから、ヘクトルは地球までは辿り着けるだろう。しかし、辿り着けたとしても、彼ひとりではセレニティと接触することは出来ない。そればかりか、バベルの塔を攻略した敵がヘクトルを待ちかまえている可能性も高い。ひとりでは為す術もなく、連中の手に掛かって命を落とすことになるだろう。
 アンフィニアは屈託のないヘクトルの笑顔を思い出し、心が潰れそうになった。
「運を天に任せるしかありません」
 シャルキンはそう言うと、口を閉じてしまった。